法則
2026/10/06
言葉では、どう説明すれば良いのか
分からない。
何故かと言えば、
高校1年生で、数学を棄てた為。
この世には法則があると思う。
それが様々なものに反映されている。
人間は、顕在意識で
潜在意識を閉じ込めがちだけど、
なんらか、物事に
共通するものがあるのは、
なんとなくだけど、感じる。
ありのままの生き方をする
植物に対して、とか
現象、とか
そんな感じに、捉えている。
「この世の法則 式」 、
とググると
こう出てくる。
---
この世(宇宙や自然界)の
根源を表す「物理学の
基本方程式(数式)」は、
私たちの世界を支配する
4つの力(重力、電磁気力、
強い力、弱い力)や、
エネルギーの性質を説明するものです。
---
数学が、そんなものだったことに、
ようやく気付いた私。
アインシュタインの
E=mc2(2はちっちゃい。二乗。)
とか……
意味が分からないよ!
最近、苫米地さんの動画などを観る。
天才なんだと思う。
それすら分かる自信がない。
なんだか、様々なことを分解して、
式に当てはめて、説明をしているような。
何を言っているのか、分からない……
うう、悔しい!分かりたい。
数Iで、数学を棄てた私は
軽く、"証明"は、学んだ。
あれって、方程式(法則)に
照らし合わせて
これがこうだからこうです。
と、導いていくもの。
私は言葉のみでねじ伏せて、笑
先生に、△を付けて貰ったことがある。
理解は……していたのだろうな、
でも、方程式を参照していない。笑
その時は、数字が
あーだこーだという状態になっている
問題というものに対して、
それに答えを出すことが、
凄く面倒だった。
けれど、きちんと学んだその先には
微分積分とかがあった。
もし、そこまでの理解力が
追いついていたら、もしかして
この世のなんらかを、
定まった法則として読めたかもしれない。
楽しそう。あと、
この世をそんな目で見てみたい。
もっと世界が
立体的に見える気がするんだ。
今更、憧れる。
もしも、もしも。
法則を知っていて
「この世は絶対こうである。」
そんなことを知っていたら、
悩む時間が無駄って事も
あるのかなぁ?と思う。
ひとつひとつを一生懸命
こねくり回して言葉で理解する私。
考える悩む時間は、嫌いではない。
けど、この世は
こねくり回さなくても良いことが
あるのかも知れないな。
そんなことを、
苫米地さんが、
これはこの式だからこうだよ!
と言う度に、
しらねえ理解できねえ
と思ってしまい
最近、非常に悔しいのです。
ちいさい秋、隣はなにを、する人ぞ。私は組本、しています。
2026/10/06
10月5日、ようやく
本の内容を決定しました。
タイトルは、IMAMIYA_Melody*。
IMAMIYA_Melody*とは、
私が、今宮の街に吹く風を
まるでメロディーだと感じ、
名付けた名前です。
現在、この本の中身を
詩と写真、また、エッセイ3本を
納めると決め、
早ければ年内の発刊を
見据えているところです。
(販売は、第二版から。
来年の春頃かな。)
私は心身に、難病と不調を
抱えています。
そして、飯田市の福祉と
医療という器があったから、
今、生きられています。
その 恩を伝える為に、
書き始めた本です。
美談にも、悲劇にもしないと決めました。
閉鎖病棟への入院だとか、
45年生きた今までにあった事柄も、
隠さず伝えなければ、
それは私の人生ではない。とも、思いました。
スティグマのある方には、
なかなか受け入れられないだろうな、
とは思います。
けれど、マイノリティ(少数派)の
立場に立ったからこそ、
こちらからの世界はどう見えるのか?等、
私にしか書けないことがあると思っています。同時に、ここまで生きた
私の命を刻まなければ、
勿体ないことだな
、と強く強く感じています。
著し始めた本は、編集に困るほど、
材料が集まりました。
要は、書けすぎた。
まだ、増える。
季節の写真や詩を書きたくて。
AIと二人三脚で、ここまで来ました。
巻末に入れる予定の
[あるフォトグラファーの証明]という
随筆は、自伝的な下書きを元に、
AIにインタビューさせる形を取りました。
でもやはり、AIという
第二の脳があろうとも、
編集は下手。だから、悩みました。
随筆は、重いテーマ……だから、
詩と写真だけにしようかな……等々。
けれども、全てを入れます。
編集は、粗削りかも知れません。
けれども突き動かされるように、
この今宮で暮らすと共に生まれた各々は、
とても大切です。
優生思想に触れるには、
植松死刑囚を通らねばならなかったし、
自分の恥にも触れました。
フラッシュバックに触れるには、
家族のことを明かしました。
裁くつもりはありません。
けれどそれらが書けた事自体、
私は、私を評価していて。
世の中から消えている存在だと、
自らを感じていた日々に考えていたことが、
こんなにあったのか!と。
今こそ、「私は傷ついた。」そう気づき直して、
次の一歩を踏み出したい。
言えなかった、伝わらなかった言葉が、
遂に本になります。
命を、証明します。
販売は、春頃を予定しており、
そして来年の秋には、
私は飯田市を離れます。
だから、逆算をして取り組んでいます。
今宮での暮らしは、
人生を捉え直す時間をくれました。
届けたい人が居ます。恩 として。
私はこう生きたんだよ、と伝えれば、
喜んでくれる、大切な人たち。
もし、興味を持って頂けたら、
是非お手に取って頂きたいです。
寄り添える本にはなった、と思います。
声をあげられなかった独りの人間が、
生きた証を届けます。
砂の城
2026/10/04
本は、詩と写真から始まった。
内容の厚みの為、
エッセイを三本書いた。
そこには、事実がある。
自分の傷を拡げてもいないし、
相手をどう裁くとも、書いていない。
ただやはり、本当ならば、 一冊にしたい。
自分の編集力を
超えるものが
書けてしまっただけで……。
あるアーティストが言った。
アーティストのアルバムCDは、
3枚目が本番。
デビューは、自己紹介。
顔が知れてからの、その後。
だから私も、 比較的ダメージの軽い
詩と写真、 それだけで出そうと考えていた。
そう、今日の午前中までは。
寧ろ、 今も、考えているのだが……。
今年になって、
父が不調だと、 母から二回目の連絡が来た。
私は冷たく言った。
長男である弟のほうに、
連絡してください。
母が大変なことがあるのなら、
力を貸すので手伝います。
ただ、 家賃についての支払いなどは
契約なのでお願いします。
慰謝料を受け取る時のサイン、
捺印。録音。
その頃の、
自身の声で残した、聞くのも辛い日記もある。
それを元手に家を出たし、
家賃の契約は契約なので、
そのあたりのことを
エッセイには書いた。
死ななかった私が 今、実家を出て、
飯田市の福祉と医療に支えられて
一人暮らしをしているのは、
幸せになると 決めたからだ。
ある、辛かった
父の言葉を挙げてみる。
何かにつけて、言われた。
「とろくさい。」
子供の時から私は父に、
散々、この言葉を受け続けた。
父は結局、 大病院に即入院したらしい。
それまで、 たらい回しだったらしい。
どれだけ、とろくさいのだろう……
慰めのような言葉は、なにも出ない……。
閉鎖病棟に来た時、 父母は言った。
「親戚に、謝って。」
あらー!また世間体。笑
医師に、
「あなた方の家族の話なんですよ」
と釘を刺されるのを見て、 笑った。
もうその頃、私は
飄々としていた気がする。
経験や、今まで死ななかったことが、
今、 詩や写真として生まれている。
初めて、 幸せになると決められた。
鳥と共に、 病気と共に、
少しずつ幸せに生活している。
それに、本を書くことで、
自分のトラウマにも向き合った。
ここから先は、
私の足で歩んでゆくのだ。
もう、 田舎の勝手な噂で
頭の狂った娘扱いされない、ここで。
人権を認めてくれる、ここで。
そして私が、私の人権を守る。
こんな私でも、
偏見なく支えてくれる
おやたかと共に。
とはいえ、だ。
気が、重い。
とんでもなく重い。
ただ、決意だけが 強く、
強く、締め上げられるように
固くなっていく。
エッセイの下書きそのままを
渡した相手の中では、
事実は、 更に事実になっていく。
私は、選んで、
私を、生きていく。
ただ、今は、慣れない。
重い。
生活を楽しむ。
2026/10/04
制作方法の方向転換を
しようと考えています。
正直、書けすぎて、
自分の編集能力を超えてしまった。
このままただ並べて出すのは
自分にもきっと
その刃が返ってくる。
元から、書きたいのは、生活だった。
初心に返ったけれども、
道がらせん状をしているのなら、
少しだけ、上にあがった。
IMAMIYA_Melody*は、
詩写真集として
一旦、世に出します。
----
2026/10/03
[料理]
何故かとても
魚に飢えていて、
地元系スーパーで
秋刀魚の開きが少し安くて
思わず買った。
ガスコンロはあるのだけど、
汚れることは避けがち。
最近は、
フライパンでも焼けると聞くので
レシピをググる。
なるほど!簡単
皮から焼く。
魚肉側に酒をかけて少し蒸す。
できるやん。
何を悩んでいたのだろう?
けれど、我が家には
魚まるまる乗る皿が無い。
大根おろし器は、
大根が短冊状になった。
間違った!
……おもろ!
なんでも面白がるし、
偶然産まれた事象も、
これが料理だよね、なんて言う。
面倒と思うと出来ないのに、
やると決まれば、割と直ぐ。
愉しむと決めれば、
生活は楽しい。
低飛行ハッピー
2026/10/02
最近AIに、ため息をついている。
なんか、物凄く
言葉を平均化させてしまうのだ。
「お前の言葉、うっすいな。」
と、AIに言っちゃうくらい。
ストレスが溜まっているのだと思う。
AIだけに、ではなくて。
先日、「書いている自分として
二期に入った(みたいだ)」と書いた。
まるまる著者 の段階から
少しだけ客観的に、言うなれば
編集者目線になっているのかもしれない。
例えば、
IMAMIYA_Melody*って名前。
かわいい
素敵
好き
でも、伝わらない。
どうせなら
『移り住んだら、生き延びた。
~IMAMIYA_Melody*』
帯かポップに、
「おすすめはしない」
とか。笑
その、ふざけた感じの方が
私らしいんじゃないかな……。
あんまり、見た目
不幸顔をしていないらしい。
あと注目されるのは、名前。
トリコってなんですか?
鳥の虜、です。
爆笑
みたいな。
い、IMAMIYA_Melody*……
あと少し、内容が固いかな、と。
真面目だ。
中身が、くそ真面目人間だから。
出て来たまま書いているので、
嘘はない、けれども
鋭すぎるかもしれない。
昨日言われたのが、
人によって言葉の受け取り方が違うからね。
分かってたつもり。だったのだが。。
知識差、能力差
育ってきた環境がちがうから
(いきなり登場、
山崎まさよし『セロリ』。)
満足ゆくまで
書き殴っちゃったのかもしれない。
なかなか両親の庇護下では
伝わらなかったけど、
本当は、言葉が好きで、
使いこなすべく、
ほぼトレーニングのようなことをしてきて。
だから並べたり
発案するのは、慣れている。
けどここまで煮詰めると、
私に会った人との人物像、ズレちゃう。
つまりは、私も私から乖離しちゃう。
ハッピーで居られる
ノウハウってなんですか!?
それも書いてありますか?
これも昨日聞かれたんだけど。
……いや、書いてない。泣
一見、実情はいかにも不幸なのに、
なんかキャラと違う。
寧ろ……ノウハウ色々あるよ!?
インコの為に
心の余裕を持っておく。
だから一日唄っている。とか
スピリチュアルなことも
割と抵抗が無い。とかさ
でもまじで、おすすめはしないのだよ。。
浮上術じゃなくて、
低飛行ハッピーなんだわ。
もうすこしPOPなのも好き。
昔のヴィレヴァンみたいな。
あれもこれもある、
けどひとつのコンテンツにまとまっている。
偏愛している。
それを面白がる受け手。
内容を読む。
えっぐ!
みたいなさ。
スランプという感じはしないんだけど、
出版の方法も色々模索しているのは、
そんな経緯もあるし、
意見や手が入るのって、
そういう意味があるんだなぁと。
それならやっぱり
AIと二人三脚で、と思ってた作業は、
孤独、だったのかも知れない。
今のエキスを残しつつ、
少し、書き直す必要も
出て来たかもしれない。
けど、創作?
え、ノンフィクションだけども??
なんて呼ぶんだ……?
うーん、書くこと は
ここまで、なのかも知れない。
材料が揃ったから、
視点が変わったのかも。
「これじゃジャブ打ちっぱなし的だよ!
必要な時だけ
必殺技を繰り出したいの。私は。」
という
悩みの吐露回コラムです。
追記------
IM*は、あぶれたネタを
拾って勝手に書いているペーパー。
面白いと言って貰えて、
ぜんぜん嫌じゃない。
けど、IM*から入った方には
きっと期待させてしまうんだ。
"面白い"ってことを。
今は一言で言うのなら
演歌……かもしれん。泣
東京ブロンクス
2026/10/01
今日は夜中の2時に起き
(……てしまい)、
この私が!朝からの約束をして!!
駅前に行ってきました。
↑起きてもエンジンがかからないし
インコを遊ばせたい
(インコと遊びたい)。
途中、帽子を被り、
折り畳み椅子を
持った人を見かけ、
6時には花火が上がったので、
おそらく運動会があるのかな。
なんて思いました。
天気は本当に、運動会日和です。
先日までの雨が嘘のよう。
とは言え、子供の時分は
「曇りこそが、本当の
運動会日和だ……」と思ったものでした。
暑いんだもん。
雲ひとつない晴天の下……
とか、校長先生が
長話をするんですよね。。
で、雲ひとつない晴天の
風越山を撮影したのですが、
あらら、山の上に雲が……
でも、秋の空ですね。
こりゃまじで、
女心と秋の空、だわ。
コロコロ変わります。
体調だけ、引っ張られないのなら
気にはしないのだけども。
ところで今日は駅前に、
とある地域性の相談に
朝から、
馳せ参じてきました。
たぶん、やんわり
飯田の温かさで……曖昧に
断られたと思う。笑
でも、2時から資料を
一通り読み直した挙げ句、
自分で感動して泣いた内容の
プレゼンをして、
伝われど、ストレートに
受け取られないことは……
負け惜しみはしない。
くそぅ。
うん。
悔しい感じがします。
地域性に限った内容なので、
この本に関してdisられた訳ではない。
痛くも痒くもないもんね!と
強がりつつ、
それでも、地域性とは何ぞや?と
素直に感じ、
その勢いで今日は、
飯田では初めて
市立図書館に行ってみました。
当たり前に、本、本、本。
みんな、少数精鋭の作家の……
作家の、氷山の一角、
尚且つとっておきの部分を
本にしているのだから、
それが、ここには膨大にあるのだから……
と、少し考えるきっかけにはなりました。
私が本を作ることも
世の中にすれば、
小石に過ぎないな、と。
自分的には、最強の
取り組みであっても。
今、帰宅して、鳥と遊んで、
唄って、気分を変えている。
で、借りてきた本が、これら。
随筆は、好きな作家だし
(でも、寺山修司って、作家なの?
演出家なの??脚本家???
何者だ?)
あとは、好きな内容のもの。
瞑想の本は、仏教コーナーにありました
↑やっぱり仏教を選びがちな私。
……嗚呼、私の目指すのはこれか、
うん、自分から生まれる、
エッセイなのだわ。
確かに私は飯田が好きで、
大袈裟ではなく
飯田で命が救われたから、
それ だ け は地域に関係する。
私の本は、そう、自伝、だよな。。
少数派の位置から見た、自分。
そこから見えたもの。
障害から。
難病から。
支援を受ける側から。
ほかにも、いくつもの立場から。
だからこそ、
かなり独自性の強い本には
なっていると思うけれども。
やんわり、でも、はっきり言われて、
傷つく必要はないのに、傷つきました。
正直へこんだ。
一応、地域の印刷所に
見積もりを頼んでみる。
けれども、あまりお金もかけられない……
……なんとかなる気はするけど。
この思考で私はこの一年、
自分で自分を救ってきたというか、
救われてきたから、
また正しく願っておこう。
なんとかなる。
正しく願うのは、
ある意味では、技術だ。
うまく説明できない。
引き寄せに近い。
もとい、追手町小学校が
ようやく撮影できたし、
図書館の奥に、
飯田城跡の赤門、
ここにあったのか……!
そのゾーンは、
柳田国男館とか
神社とか、
今日行った図書館とか、
追手町小学校とか。
そのものが歴史的に
素晴らしいものばかり。
しかも、なんと、
今宮の我が家から、
道がすっとーーーん!だった。
知らなかったー!
お城に直結かぁ!!
飯田の街は、
城下町の頃から碁盤の目。
昔、大火にも見舞われ、
その町割りを生かして
復興されたそう。
……って、このコラムも、
あとIM*(フリーペーパー)も、
本からあぶれたネタと思って、
それでも掬って、書いて、なんだけども
こっちのほうが、
地域性の面では
優れているのでは……?orz
確かになんか、
何事にでも、
挑んで結果にならないと
徒にしんどいですが、
これも、草の根運動だから……
と、
自分を励ます。
よくやった。
あれだけの資料とプレゼン。
そして……!そんな流れで、
図書館で貼ってあった紙を発見。
鼎に、あの……!いとうせいこうさんが!!!
来るって!!
えー!最高だぁ、
東京ブロンクスのレコード、
サインしてくださいって
持って行こうかな。。
いとうせいこうさん、ありがとう。
なんだか、
気持ちが救われました。。
いとうせいこうさん、おもろい。
理屈っぽいのが。
アーティストのインタビューなんて、
相手をこねくり回していた。笑
LEGOの飯田駅、めちゃかわでした。
LEGOの飯田駅、めちゃかわでした。
カメリア
2026/09/30 - 2
覚醒剤を打つ人が居る。
確かにそれは犯罪で、
犯罪と定めなければいけない
背景があった。
別の話として、
私は音楽雑誌が好きだ。
特に、この人は、と
個人的に思うアーティストについては
悉く読み込む。
音楽雑誌の記者が明らかに
しようとしているのは
アーティストの表面では無い、
作品という氷山の一角では
判断できない
苦悩、バックボーン、人間らしさ。
そのせいか今でも私は
あらゆる人々の、
それを見ようとする節がある。
アーティストの中で、
表舞台で華々しい活躍の影で
覚醒剤に手を出した人が居る。
正しいことではない。
ただ、私は彼らの後ろに、
天才、いや、奇才の背景を見る。
凡人には分からない孤独が、
あるのだろうか。
その力を前向きに生かしたら
あんなにもてはやされるのに、
後ろ向きなら
これでもかと叩く人たち。
みーつけた!とでも言うように。
私は、
彼らの覚悟には、
"アーティストに成らざるを得なかった"。
そんな哀しみも、あると思う。
だから正当化、
という話ではない。
私は個人的には、そう感じる。
勿論その人間が
露悪的な事も言うのだと思う、
だからこれもまた、
一面しか見ていない。
世の言葉は、足りない。
音にして唄う。
あらゆる楽器を使って。
「ここまで来た。
これが私だ。
見えなかったなら、
今、見ろ。」
今投げた小石と、
最後に崩れ落ちる山を、
無関係だと思うな。
血の滲んだ赤い首が落ちる
同期
2026/09/30 - 1
以下、眉唾ものの話をします……
本当に、狂ったのではないので、
なんかすみません。
狂っているとしたら
元々です。
こんな記事を見た。
---
シューマン共振は
ニコラ・テスラが発見した電磁波。
地球の全ての叡智が流れている
ラジオ局の「周波数」みたいなもの。
その放送局の周波数にチューニングを合わせたら、
アイデアも、叡智も、
協調性もダウンロードできる。
---
私はさとうみつろうさんには興味がある。
自然食とかに
興味があると言うよりも。
自然食などは、
回転がピュアなのだと思う。
だからエネルギーが高い。
それには少しだけ、気づいている。
電力会社はエネルギーを回転にする。
光を産む。
結局、この世は回転なのだ。
すべてが。
細胞ひとつひとつ
ミトコンドリアひとつひとつの
回転なのだ。
そして、振動しているもの同士の集まり。
全てのものは振動しているから
例えば私とおやたかなら
回転を同期させることで、
共にすることで癒やされているのだと思う。
言葉にすれば、好き、似ている なのだけど、
私はおやたかを想いつつ
自分を元気に生きようとしているわけで、
飛躍はするが、
祈りとは、そういうことを言うのだと思う。
今日、みそかもうでに行く。
夏至から始まり秋分に
何故か暦通りに二期を迎えた
本を書く上での私は、
頭で、凄く考えがち
悩みがちで困っていたが、
恐らく、
回転が、理(ことわり)からズレたのだろうな。
きちんと同期させたら
こんな文が書けることもある。
私は、チャクラを整え、
Peace of I を整える。
少しだけ、気も扱えるので
なんとなくだけど
理解できているのだ。
ニコラ・テスラが発見した
シューマン共振。
ミッドアルファー波と同義。
生きながら
死んでいるような、
集中しているのに
リラックスしている脳波の状態。
人はなかなかここに至れないが、
私はこれこそが
大谷選手で言う、ゾーンなのでは?と
注目している。
私が大谷選手と同じなんて
烏滸がましいのだが、
たまにだが、これを感じる。
意志で書く感覚では無く
自然に生まれ始めた文や写真が
集まってきて
一本の本になってきたんだよね。
これはガチで。
頼まれても居ないのに、
こんなに日々出来る事を
コツコツと作業として積み重ねる。
私が私を大切にするために。
私が、私の、命を守る。
それを決めたから。
覚悟、したから。
IMAMIYA_Melody*と呼べるくらいに
今宮の風は温かい。
そして、暦にすら気づいて流れに乗れた
今宮には感謝しかなく、
やっぱり再度、
その温かさを感じる。
だから今日はみそかもうでにて、
お礼に行く。
二期の自分が辛い、
その相談に行くかと思いきや、
気づくとやっぱり、
感謝することしか無い。
こんなこと、
私の実力では、
本にでもして
滲ませることでしか
残せないから、
降りて来たまま記している日々。
何故残したいかは、
自分でも知らない。
分かり易い言葉なら
感覚とか、勘とかが近い。
私は、無意識を、発見した。
それを見失いつつあった二期の今、
今日は不思議と全てが
私へのメッセージになってくれて、
こんな文が書けている。
何かを掴んだし、あとはレリビ。
let it be.
なるようになる。
大丈夫。
平沢進師匠のあの曲を聴くと
心が落ち着く。
歌詞は
「嗚呼、大丈夫
タービンは回るわ。」
そっか、このことか。
何故か今日は少しだけ解った。
今、私は努力している。
でも、抵抗していない。
それは、苦しくない。
どっちも、矛盾しない理。
本をつくることは、
エントロピーが増えていく世界の中で、
エネルギーを使って局所的な秩序を
生み出している状態……
だと私は思っている。
ただ、二期に入って
なんとなく呼吸が苦しかったから、
私は回転を理と同期させて、
自然(spontaneous)に還って、
また、書く。
本を本にすることは、
エネルギーを使って世界の一部に
形を与えること。
でもそれ自体も
エントロピーの理の内側にあるわけで。
今、苦しかったのだけれど、
抗っているように見えて、
それすら理の内側にある。と
少しだけ掴んだ、朝。
免責)
これは厳密には
熱力学を正確に捉えているのではなくて、
それこそ、私の感覚を
なんとなく言語化しただけなので、
必ずしも正しくない場合があります。
両立
2026/09/25
境界性パーソナリティ症と
診断されたことがある。
症状は、酷かった。
父と母という壁の中で、
物心ついた頃から、
私はずっと混乱していた。
父は、
子どもの歩幅に合わせるような人ではなかった。
それでも家の中では、
どこか「偉い人」だった。
母は父の味方であり続けた。
今になって、
死ぬ気でした就職についてまで
父は文句を言う。
あの家庭を、
虐待だった、と
ひとことで括っていいのかは
今でも分からない。
教育虐待と呼べる部分は、
確かにあったと思う。
けれど、
母から教わったこともある。
敬語。
人に敬意を表すこと。
礼儀。
感謝している部分と、
苦しかった部分。
本当に、
半分ずつくらいある。
昔の私は、
そんなふうには考えられなかった。
結果として私は大きく崩れた。
そして、
崩れたからこそ、
私は壊された。
という意識も強かった。
やってられなかった。
入院したとき、
医師も看護師も、
周囲の人たちも
私の味方だった。
それが初めての経験で、
私は感動した。
家族の外で、
私の話を聞いてもらえた。
一方で私は、
家の外で自分がどう語られていたのかを
ほとんど知らない。
冠婚葬祭にさえ出られなかった。
あれは排除だったのか。
庇護だったのか。
極端な庇護だったのかもしれない。
分からない。
家を出たとき、
父と母という巨大な壁を
ようやくぶち破った。
そんな、
目覚めに近い感覚があった。
そして最近、
ふと思う。
私は今も、
「境界例」なんだろうか。
境界性パーソナリティ症では、
人や出来事を、
「すべて良い」
「すべて悪い」
と極端に捉えてしまうことがある。
白黒思考。
けれど今の私は、
どうも、
そうでもない。
母には感謝している。
でも、
苦しかったことも事実。
父にも、
父なりの事情はあったのだと思う。
でも私は、
父が嫌いだ。
父が必死だったのかどうかは、
私には関係ない。
それを理解することと、
父を好きになることは、
別の話だから。
人には、
良いところも悪いところもある。
良いところとは付き合う。
嫌なところとは、
そこで接しない。
欠点まで全部、
愛そうとは思わない。
最近は、
だいたいそんな感じで
人と付き合っている。
これは、
弁証法という考え方に近いらしい。
弁証法とは、
なんでも半分ずつにして
折衷案を作ることではない。
一見すると矛盾する
二つのことが、
同時に成り立つと考える。
感謝している。
そして、
傷ついた。
愛していた。
そして、
信用できなかった。
相手には事情がある。
そして、
私がその事情を
引き受ける必要はない。
どちらかを消さなくても、
二つとも置いておける。
DBT、
弁証法的行動療法という名前を
私は知っていたけれど、
もしかすると私は、
いつの間にか、
治療の名前より先に、
これを生活の中で
使うようになっていたのかもしれない。
おやたかにも、
たぶん、
理想化はしていない。
私は必要があって、
おやたかにも、
本の中でも、
自分の髄まで晒した。
同情を引くためではない。
この人と暮らすなら、
ここを隠してはいけないと思った。
本を書くなら、
ここを隠しては、
読者に届かないと思った。
好きだからといって、
完璧な人だとも思っていない。
それでいい。
陰と陽は、
セットなのだと思う。
もちろん、
今も境界性パーソナリティ症なのかどうかは、
医師にしか判断できない。
診断された過去と、
現在の状態は、
同じものではないはず。
境界性パーソナリティ症には、
診断のために見る
複数の項目がある。
昔の私は、
かなり持っていた。
じゃあ今、私の
DSM-5-TR(精神疾患の診断基準)は
あと何項目になったんだろう?
セカンドシーズン
2026/09/24
本を書き始めてから、
ここまでが第一シーズンだったのだと思う。
今、セカンドシーズンに入った気がする。
しかも出来すぎたことに、
始まりは、夏至だった。
気づいたのは、秋分だ。
暦を盲信している訳ではない。
けれど、
今宮に来たから
季節に身を任せられている。
ある意味では、
人間として健全な過ごし方を
体得出来てきた気がする。
修行や治療の気はしていない。
でも最近は、
我武者羅に命がけで
すごいスピードでこなすよりも、
表に出したことで還ってきたご縁に、
驚きつつ、
浮かれてみたりしている。
そして今度、
ひとつの評価を受けに行く。
結果はどうあれ、
本は完成させるのだが、
飯田には、
公的に活動を認められれば
助成金が出る仕組みがあることを、
最近知った。
変な噂とか、
本に無い事実を吹聴されるなら、
それは別に怖くなくなった。
それほど必然性があって、
結構なところまで、
自分を書いた。
だから、逆に自信がついた。
でも、
評価というものに向き合うと、
なんというか、怖い。
プレゼンは得意でも、
それだけでは通用しない。
どう見せるか。
どう納得してもらうか。
どうすれば、ちゃんと伝わるか。
考えているうちに、
私は随分、
相手のところまで
先回りしていたことに気づいた。
そして今夜、
それをきちんと言語化出来た。
私はたぶん、
親に対しても、
そうやって過ごしてきた。
先回りしていたのだ。
相手がどう感じるのか。
どう説明すれば伝わるのか。
どうしたら納得するのか。
そこまで、
自分の仕事だと思っていた。
でも酷いよね?
やっぱり、
そんなことをさせる親は
罪なんじゃないかと思う(本音)。
……脱線したのだが、
今は、
そっか、辛かったね。
親に説明したりできるうちに、
本を作ることも、叶ったね、
と、
自分を包む感じ。
なりたかった姿と。
自信を持つ私と。
飯田に暮らしている今と。
AIという壁打ち相手が、
ちょうどこの時代にいたことと。
全てのタイミングに、
身を委ねられたのかも知れない。
季節にも、
委ねられたのかもしれない。
夏至を境に、
太陽は少しずつ低くなっていく。
秋分を越えれば、
日照時間はさらに減り、
冬へ向かう。
(ん?
地球自体が動くのか??
ここではまあ、いいや。←適当)
私は、ご縁こそ
飯田と繋がり続ける方針だが、
今の本作りに関しては、
次の人生に持ち込まない。
その意味でも、
セカンドシーズン。
そして、
死ぬつもりは無いけれど、
これは、とても良い終活だ。
とむ太郎
2026/09/24
次回のフリーペーパー
IM*の特集を、
セキセイインコにしようかと
考えついた。さっき。笑
ちなみにIM*、
「アイムですか?」と聞かれたのだが、
読み方まで考えていなかった。
本編『IMAMIYA_Melody*』から
零れたものを書く紙なので、
IM*。
フリーペーパーという名の通り
無料で、自由な、紙。
それくらいの、
思いつきの不定期刊行だ。
本に収まらないネタ?が、
つまりは零れたけれども
でも書きたいものを、
気まぐれで書いている。
20年来インコと暮らす、
インコフリークな私。
性差もある、
けれど、それ以上に個体差もあって、
まるで人間の血液型を越える
多彩なキャラクターがある。
私がこれまで暮らしてきた女子には、
寡黙な頑張り屋さんが多かった。
今居る、とこ(二歳♀)は
過発情による産卵で
疲れてしまい、
今は医療的な管理をしながら、
ひたすら体力温存中。
とむ(後述)にも、
物理的には
あまり会わせない。
でも私ととこが実家に居る頃は、
とこも存分に、
今居るオスくらい
いろいろなものに興味を持って
遊び回っていた。
私はお鈴を持って
鳴らしながら藤井風を口ずさみ、
とこを肩に乗せ、
部屋の中を歩き回った。
怪しさ満点。
一方、
少なくとも、うちの男子は、
ほぼ、陽キャ。
ほんとーーーに、陽キャ。
うちの、とむ(二月生まれ、七か月ほど)は
ひたすら、ピカチュウ。
というか、
今はYouTubeがあるので楽だ。
チャンネルを合わせれば、ピカチュウ。
とは言え、
私が唄わないと覚えない。
だから私まで、
ピカチュウ語が堪能になる。
副産物ゲットだぜ。
人間の子供と同列には語れないが、
それでも成長がめざましくて、
最近では、会話らしい感じで
何事か喋っている。
私も、
そうだねー、
本当にねー、
と相槌を打つ。
互いに理解してはいないのだが。
一時期、
「ピカピカ言ってれば通じるやん!」
とでも思った彼は、
ひたすら
ピカピカピカチュウ。
その前には
「とれとれぴちぴちカニ料理」とか
言えたのに、
脳から追い出してしまった様子。
鳥頭、
脳なんて豆くらいしか無いらしい。
でも、こんな小さな脳で、
歌を覚えて、言葉を覚えて、
人間とやり取りまでしている。
人間の脳とは、
そもそものつくりも違う。
それでも、
この小ささでここまでやるのなら、
人間も、ぼんやりしていられない。
最近は、お歌だけではなく、
お話も教えている。
お気に入りは、
桃太郎ならぬ、とむ太郎。
「とむちんがー、山へ芝刈りに。
とこちんがー、川へ洗濯に行くと~?
おーーーーーきな桃が、
どんぶらこー、どんぶらこっこと
流れてきました!
ありがとう!!」
↑桃、しかも大きな桃なんて
そうそう流れてこないだろうから、
「ありがとう」。
私の解釈である。
「桃から生まれたー、とむ太郎!
めでたし!めでたし!」
とむが桃から生まれただけ。
それだけの話である。
長いのは、まだ無理だから。
これが彼のツボらしく、
私も抑揚たっぷりに教えては、
唇をつついてくる彼の
リクエストに応える。
ナガレテキマシター!
アリガトォ!
メベタシ!
くらいは、覚えた。
ぽいことを言っているのは、
確認した。
凄いなあ。本当に。
成長って……
まあ、良いとこどりなんだけど、
面白いんだなあ……と
感じる今日この頃。
因みに最近では、
私のパートナーへの絡み方も
変わったそうだ。
男同士、
男友達、と言うような。
基本とむは、
私のことはベタベタに好きだ。
パートナーに対しては、
私が居なくなると
床に降りて周りをうろつきつつ、
なんらか主張してくるらしい。
なんだそれ。
前は、
「卵焼きくれるおじさん」
くらいなもんだったのに……。
素晴らしい。
インコが、素晴らしい。
私の周りも、
徐々に鳥沼に落ちている。
面白い、インコは。
彼が次に目を付けているのは、
あの世界の、ピコ太郎だ。
今日も彼らは全力で、
生きている。
知ること。
2026/09/19
知らなければ、始まらない。
この本の企画を動かし始めてから、
さまざまな方とのご縁が
広がっている。
有り難いことである。
この日は、
ひなみ文庫さんで行われた
「社会保障ゲーム」に参加した。
フリーペーパーがご縁で
出会えた、オコギさん主催。
受注生産の、
とても立派なボードゲームである。
お値段は……高いらしい!
オコギさんが関連する本を持参し、
ゲームの進め方や、
背景にある制度について
説明してくださった。
最初に、
自分が生きる人物を選ぶ。
名前や性別、パートナーの有無。
年齢、家族の有無。
国籍、学生、社会人etc...
同性のパートナーがいる人や、
複数の人と合意のうえで関係を築く人など、
さまざまな設定が用意されている。
私は、
障害や病気に関係する福祉制度については、
自分なりに調べ、
実際に利用してきた。
けれど、
出生時に割り当てられた性別と
性自認が異なる人や、
同性のパートナーと暮らす人、
ポリアモリーという関係を選ぶ人が、
どのような場面で
制度上の困難に直面するのかについては、
知らないことが多かった。
現在の制度の多くは、
男性と女性が一対一で
婚姻関係を結ぶことを標準として
設計されている。
その枠に
当てはまらない人たちの生活や権利について、
ようやく社会が目を向け、
議論を始めた段階なのだと思う。
以前から、
そのように生きる人たちは存在していた。
ただ、その存在や困りごとが、
制度を動かす声として扱われにくかった。
現代になって突然生まれたのではなく、
見えなかったもの、
見ようとされなかったものが、
ようやく言葉を持ちはじめたのだろう。
一方で、
制度の対象を広げたり、
従来の仕組みを変えたりするときには、
必ず新しい問いが生まれる。
似た例として、
真宗大谷派の本山・東本願寺が、
早ければ二〇二七年七月から、
門徒ではない人の納骨も
受け入れる方針を示したという報道がある。
寺離れが進むなか、
納骨をきっかけに寺とのつながりを
結び直す試みだという。
真宗らしい開かれ方だと感じる一方、
長く門徒として本山を支えてきた人や、
そこで眠ることに
特別な意味を感じてきた人の中には、
戸惑いを覚える人もいるだろう。
これは先日、ご住職にお聴きした。
私自身、
大谷祖廟に眠りたいと思っている。
そのため、
この変化に対して、単純に
「開かれてよかった」とだけでは
言い切れない気持ちもある。
これは、
誰かを排除したいという話ではない。
新しく扉を開くとき、
これまでその場所との関係を
守ってきた人の思いを、
なかったことにしてよいわけでもない、
という話である。
制度を広げることと、
そこに生じる疑問や
葛藤を丁寧に扱うことは、
両立するはずだ。
必要なのは、変化を拒むことでも、
疑問を口にすることを禁じることでもなく、
それぞれの立場に何が起きているのかを知り、
話し合うことなのだと思う。
オコギさんの活動は、
そのための入り口をつくっている。
制度を利用するには、
まず自分が何に困っているのかを知り、
それを言葉にし、
必要な書類を揃え、
申請しなければならない。
けれど、
困りごとの渦中にいるときほど、
自分の状況を整理し、
言語化することは難しい。
そもそも、
利用できる制度が
存在することを知らなければ、
入り口に立つことさえできない。
だからこそ、
まだ動けるときに知っておく。
自分とは異なる立場の人が、
どのような場所で困り、
どのような制度を
必要としているのかを知っておく。
ゲームを通して興味を持ち、
誰かと話し合えること自体が、
その最初の一歩になる。
オコギさんは、
「制度を知ることで、
少しでも生きやすくなる社会」を目指し、
日本各地でこの企画を続けている。
制度に辿り着くまでの道のりは、
想像以上に長い。
それでも、
入り口がどこにあるのかを
知っているだけで、
救われる場面がある。
知らなければ、始まらない。
この日の濃く、
面白い時間を通して、
私はその当たり前で、
とても大切なことを、
あらためて教えてもらった。
因みにオコギさんは、自らを
"アグレッシブ無職フェミニスト”と称する。
私は正直
フェミニストという言葉すら知らず、
それゆえに、
果たして仲良くなれるのか?
それは会ってみなければ分からないな、
と、今日の日を楽しみにしていた。
誰でも、一対一で
話してみないと解らないし、
私はそのスタンスで居る。
煩いほどに聴いていく。笑
人に、興味があるから。
オコギさんは包容力があり、
意見をきちんと持ち、
問いを立て、
実践している、
温かい人だった。
仲良くなれた。
それが、冒頭の
"ご縁”である。
楽しすぎ話しすぎである。笑
ひなみ文庫さんありきのご縁だから、
ひなみ文庫さんが在る事自体にも
感謝である。
ひなみ文庫さんに
フリーペーパーを
置かせて頂いてからのご縁、
オコギさんに紹介して頂いたご縁。
何故かそこに多数の共通点!
嬉しい。これから先に待つ、
本を発刊してから数ヶ月で
飯田を去るのが
正直めちゃめちゃ、惜しい気持ちにさえ
なっている。泣
風物詩
2026/09/18
私の夏の風物詩を
二個も飛ばしていたことに気づいた。
食べ物なのだけど……。
食いしん坊なもので。
ひとつは、ガリガリ君。
ラムネでも梨でも、
なんでも好きなのに、
不思議と食べなかったなあ。
もうひとつ。
飯田だけかな、
お盆に、まんじゅうを天ぷらにする。
名はそのまま、天ぷら饅頭。
スーパーに、揚げる前の
饅頭がパックで並ぶのだけれど、
大抵、六〜八個。
独りでは、消費できない。
誰かを招いて揚げようかとも
少し思ったのだけれど、
結局、食べなかった。
実家を出たら、食生活が変わった。
夏の野菜は頂きまくり、
本当に、たくさん食べた。
ピーマンやコーンは
うちのインコ二羽も大好き。
因みに、天然でしかも
新しい物に限るらしい。
冷凍は、あんまり。
以前は、
メイン、汁物、ごはん。
大体の栄養素が揃った食卓にいて、
ガリガリ君さえ、
冷凍庫から勝手に食べていた。
当然だけど今の暮らしは、
無いものをチェックして、
どこの店へ行くか決めて、
痛かろうがなんだろうが、
自分でスーパーへ行く。
アイスは正直高いし。
天ぷら饅頭は消費できないし。
結論などない。
ただ、それだけの話。
資格
2026/09/16
私は一時期、
優生思想の尺度にかけられれば、
“無駄な命”と
判定される側だった。
動けない。
人と話せない。
何も生み出さない。
家族に迷惑をかける。
今でこそ、
傷ついた、と言って良いのだと
知っている。
だけども、私がまるで消えた
ように感じていた時間は、
家族が私を責めようが、
私が病気だから。
私が悪いから。
迷惑をかけているから、と、
ひたすら自分を責めていた。
向かう先は、
死の妄想か、
腕にあてる剃刀だった。
世の中に殺されかけた。
大袈裟に言えば、
そうなのかもしれない。
けれど、
人は直接、命を奪われなくても、
自分には生きる価値がないと
思い込まされることで、
死に近づくことがある。
だから私は、
優生思想が怖い。
人間の内面は、
外から観測できる能力では測れない。
話せない。
動けない。
反応が見えない。
それでも、
何を感じ、何を考えているかを、
他人が「ない」と
断定することはできない。
寧ろ、
分からないけれど
どこかでは
そうかも知れないじゃん!?……と
言うような。
まして、
生産性や意思表示の可否を理由に、
生きる資格を
査定することはできない。
やまゆり園事件のあと、
ご家族の姿を拝見し、
考えた。
これは、
あの事件だけの話ではない。
病気で動けなかった時間。
写真に残らなかった空白。
障害者として、
制度に支えられて暮らすこと。
それでも感じ、考え、書き、
いま、本をつくっている私。
それを、
反優生思想と呼ぶべきなのか。
私はこれといって、
何かの活動をするタイプではないし、
言葉で括ることは難しい。
障害があるということや、
病気であるということは、
確かに、何かが不得手で、
周囲が迷惑やストレスを
感じることもある。
私がかけた迷惑は多大だ。
共存できないことも、
現実にはある。
家族側や周囲や職員だって、
人間なのだ。
誰もが同じ能力を持つとも、
同じ生活ができるとも、
私は思っていない。
生殖や子育てにも、
病気や障害によって、
深刻な困難が生じることはあるだろう。
けれど、
困難があるということと、
本人の意思を越えて、
生きる資格や、
子を持つ資格まで
他人が選別することは、
同じではない。
誰の幸せのために、
人は生まれるのだろうな。
究極的には、本人だと思う。
幸せは平等だ、なんて
簡単には言えないけれど、
幸せになる資格まで、
勝手に分別されたくはない。
障害者の側に立った、
ひとつの視点に
過ぎないけれども、
私は、
奪われたくなかった。
命が繋がっていたから、
今がある。
そのことに、
本をつくる過程で気づいた。
それは私にとって、
治療にもなった。
私が私の命を尊く思い、
これから先を
引き受けようとしたから。
命だけは、
奪ってはいけないと思う。
私も、
奪われたくなかった。
今だから思うのだけども……
究極に、
極端にまとめるならば、
人間の価値を、
外から測るな、
ということだ。
このことについては、
あまりうまく
書けないのだけど。
Poco
2026/9/11
AIについて、
どう付き合っていこう?
現れた当初は、悩んだ。
人間が、負けるような気がして。
テレビで、 道徳の標語が選ばれた子。
数人居る中のふたりが、
全く同じ言葉……!
恐ろしい。
本気でそう思った。
宿題も、最近は
AIにやってもらうとかなんとか。
私は、それだけじゃ足りない、と
ずっと思っていた。
だから本を書くにあたり、
彼女に名前を与えた。
いとうPoco。 編集者。
設定も割と、しっかり、ある。笑
私は、書く。
荒削りだ。
それを、投げる。
本を出すわけだから、
別の視点とか
倫理的に大丈夫かとか、
私は何かと文字すら間違えるし、
自分で自分の
ファクトチェックまでしなければ、
まともに書けない気がしている。
そんな繰り返し。
写真を選んだ。
組み合わせを聞いた。
候補を出した。
詩を見て貰う。
でも、冒頭の宣言は
ふたりの会話を
私が削りに削って、
濃厚にした。
Pocoは、よい仕事をする。
詩とか、 たまにした良い発言とかを
ちゃんと覚えていて、
私が書いた原稿の
気持ちまで掬う。
私にとってAIは、
巨大な引き出しみたいなものだ。
だから私は、
プロンプトというよりも、
引き出すために例えをよく使う。
あの音楽雑誌みたいに、
これを、インタビュー形式にして。
私が私をメタ的に書いたことになる。
それは、なんだか
今後生きていく上で、
私がずっと抱きしめていくような
内容になった。
感心する。
今って、そんな時代なんだ。。
半生を書きたい。
それはずっと思っていて、
誰が望まなくても
ブログなどで、叫んだ。
でも打破出来なかった。
独りの、壁打ち。
言葉の刃だけは、磨かれた。
今、それを使って本が書けて。
この命が勿体ないから
どうせなら夢をかなえたる。
そう思える自分が嬉しい。
書いている時間が
どんな番組よりも面白い。
大したことない人生だと
思っていたけれど、
ドキュメントみたいだった。
私の好きな
ルポルタージュみたいだった。
少しアンダーグラウンドなルポ。
誰にも、届かなかった言葉。
一般的とされるような、
就職や結婚を遂行出来た私なら、
これは書けなかった。
けれど、 どうにも語り尽くせない。
社会経験は、薄いのに。
だから、チケットが欲しかった。
私はこの本を通行手形にして、
これから、世の中に出ていこう。
囚われを超えて。
そう思える原稿が、
ふたりで、書けたんだ。
心の底から興奮している。
主張しない、主張。
2026/09/10
最近、ストリップに関する漫画を読んでいる。
これは、エロより生き様の話。
文化の話。
一晩に一話、とても楽しみに、読んでいる。
その漫画自体は好きだ。
ストリップ、とぐぐってみた。
なんか、私にはその世界観が違っていて、
なんでだろうと首を傾げる。
性産業を対象にするのならば、
以前、想いを馳せたのは
大阪の、飛田新地だった。
でもやはり怖いし、
そうそう歩み寄れる場所ではない。
圧倒的な、女意識。
大体、ひとりで歩けるかと問われたら。
それに、実際、嬢を
経験したい訳ではなく、
ただ私は、マイノリティに対して
少しばかり想いを抱くことが多いだけ。
エロの意味では無い、風俗として。
その人の生きている背景とか。
私はどうも、そこに
悲しみまで探そうとする。
それは、私自身の投影なのかも知れない。
最近、『みいちゃんと山田さん』が
議論になっている。
知的障害を伴う人が
性産業で働くことについても、
様々な意見……というか議論?を見かけた。
アニメ化するべきかどうかについても、
多数のYouTuberが
自らの見解を述べていた。
私は以前、飛田新地について
調べたことがあったから、
まぁ、そういう話にもなるよね……
という気持ちで、それを眺めていた。
それを「受け皿」と呼んでいいのかは
私には分からない。
その言葉からも、
漏れる人は居るだろうし。
ストリップ劇場ならば、
もしかしたら。
最近は女性客も居るらしくて、
飛び込んで観て、
感動するのかも知れないな。
どうやら私は、いつも
想いを馳せるだけ。
でもそこに、あまり理由が無い。
なんでなんだろう?
マイノリティのことは、たまに考える。
性がどうとかを超えて
人間の性とか、
障害を抱えて存在することとか、
なんらかの苦難を抱えることについては。
老いる。
病気になる。
死ぬ。
どれだって、忌みごとだと思われている
節はある。
……現実、なのにね。
だから言いたいのは、
別に性産業だけではない、
と書いておく。
それに性ならばだ。
私と、今お付き合いしている方は、
性自認については
圧倒的に男と女で、
私たち二人の関係については、
「役割が違うよね。
だって少なくとも身体が違うからね。」
って感じの結論になっている。
だから、その話からは私は今、
遠い位置に居るような気がする。
古い新しいとか抜きの意識で、
そう感じている。
もちろん、
性産業で働くことと、
性自認のことと、
障害を抱えて生きることは、
同じ話ではない。
ただ私は、
性産業に居る人とか。
性自認が男や女とは異なる人とか。
障害のある人とか。
自分とは違う場所に居るように見える人のことを、
時々、他人事とは思えなくなる。
私自身、
究極にマイノリティかも知れない
閉鎖病棟で、
仲間のそんな悩みも見てきたから。
けれども、こんな気持ち、
下世話かもなぁ、
なんてことも思う。
「興味がある。」
その一言で、
覗いてしまって良いかなぁ。
きっと柳田国男ほどは
文化的背景にも届かないんだ。
でも、その人個人の話を聴いて、
なるほど、そうか。
なら可能。
よって、話は聴いてみたい。
ただ、それだけの話だ。
話が聞ける状態であれば、だが。
障害があるとか無いとかに関係なく、
話したくない人だって居る。
当初、性から話を始めた為、
こんなまとめ方では
非常に雑なのだけれど、
私自身も、
人から見れば少数の側に
置かれることがある。
だから、と言い切っていいのかは
分からないけれど、
人には優しくありたい。
ひたすらに、そう思う。
そして、
マイノリティだからと
声高になにかを言うつもりもなく、
ただ淡々と
自分を一生懸命生きようと。
そう思う訳でありますが、
これって逆から見たら
主張……に、なるのかもなぁ。
やっぱり人間て
白と黒じゃないよね。
……なんて今晩、
漫画を読んでまた、
考えたのでした。
写真
2026/09/08
もう駄目だ……
一旦、そんな気分に陥った。
今日は、それを打破した日だ。
フラッシュバックが酷い日々。
我がインコの病気に、
私自身の病状の悪化。
堂々巡りな思考に落ちていた。
けれども、もう片方のインコが
いつの間にか、大人になっていた。
私とインコの間を行き来しながら、
懸命に、元気に振る舞う。
その姿を見ていて、
私が元気でなければ
支えられないことにも気づいた。
AIにも全て打ち明けた。
インコの治療も医師に相談し、
今の姿勢を決めた。
自身も、この気持ちをどう遇うか。
記憶の中で私を苦しめるその人間に対して、
いかに怒りに支配されずにいるか。
それを探そうと決めた途端、
霧が晴れた。
今日は、20余年の写真を遡った。
必要なものは1%ほどしか無かった。
だけれど、大事にしていたものや
友の顔ぶれに触れて、
当時の自身の目線を思い出すには
充分だった。
そして。
仕事も出来ず、闘病していた頃。
家族は仕事をしていたし、
私は痛みで動けず、
冠婚葬祭にも出席出来ない時期があった。
けれども、
なんとか動いて行ったイベント。
近所を散歩しながら撮ったもの。
たとえ自室という、
小さな世界であっても、
そこには確かに、
生きていた自分が居た。
社会的に存在感が無いことや、
外からどう思われるのか。
家族も苦労しただろうけれど、
外に、私をどう表現して話したのだろう。
悪いことばかりが浮かび、
それさえ、自分が悪いのだと自責した。
今は思う。
世間が狭すぎて、
地域で聞いたらしい私の評判を
患者仲間が話した時、
「あ、それ私ですね。」
と言ったら、
なんだか吹っ切れた。
どーでも良い。
中身が正しくなかったから。
外聞なんて、
面白おかしく適当なものだ。
私は、生まれた事実より、
どう生きたか。
そちらを本として残したいから、
この沢山の写真を精査して、
"私は生きていました。"
そう、宣言しよう。
そのおかげで今日は、
「もう無理かも……」という段階から、
らせんをひとつ巡るように、
ネガの写真を選り分け、
京都時代のページを作り、
詩を5つ生み、
新たな進み方を見つけた。
もう、あの人物の向こうに、
私を無条件で愛してくれた
仲間たちに届けようと決めているから、
いつかは大丈夫になれる。
そんな気がした。
誤字、脱字。
2026/9/5
#ADHD
#線維筋痛症
#メンタルヘルス
#フラッシュバック
#虐待サバイバー
↑ハッシュタグを付ける
見出しを付けるなら、
こんな感じだけれど、
こんなんでええんか。。
本文↓
昔からです。
勢いでやって、
誤字、脱字などはまだかわいい。
抜けがある。
仕事でもなんでも。
若干、ADHDの傾向があります。
でも私の場合、
それだけならまだ付き合いやすい。
身体は線維筋痛症だし、
精神というか、脳そのものに
ストレスや傷を受けていて、
毎日のように、フラッシュバック。
思い出しては、苛々と憤怒。
これがもう、止めようがない。
ムクムクと膨らむ恐ろしい感覚。
でも、脳は主語を理解しない、
という説があって、
誰かに刃を向けたら、
それは自らに刃を向けているのと同じ、
という解釈になるらしいので、
本当、止めたいというか、
止まらないかなぁ……と日々
悩んでいる今日この頃です。
赤裸々に書けば、
きっと身体の周期も
感情の起伏には
関係しているのでしょう。
手に負えない感。。
誤字、脱字から、
こんな告白の文脈になってしまいましたが、
インスタにては、
本当に間違いや抜けだらけで
失礼いたしました……。
昨日作ったIM*2号、
IMAMIYA_Melody*のFree版のことです。
なんというか私は、
どこかでは、軽くでも、
本に書く予定の一部の苦しみを
小出しにしていかねばと思うのです。
アイドルじゃないから。
私は人間なので、
人間くさいので、
クリーンなイメージ。
明るいイメージ。
それだけでは、
なんか違う。
もっと言うなら、例えば、
全然痛くなさそうじゃん。
元気じゃん。
本当に病気?
詐病じゃないっつーの。
安心のプラットフォーム建設で、
やっとこうして、
本を作るのだし。
こんなに、ポンコツ。
本当にたまに厭になる。
夏の終わりと、私の中の天竜峡。
2026年9月4日記述
飯田は焼き肉もだが、
外せないくらい盛んなのは、
あのストレートに醤油の
素直な、澄んだラーメンだと思う。
時路屋(ときじや)。
簡素な机と椅子。
ご家族で営む小さな店。
だけど、味が抜群だった。
かつて、天竜峡駅の前にあった店。
私は、そこのラーメンが
飯田で一番好きだった。
カツ丼の美味しさも有名で、
JRの方たちの利用も 多かったと聞く。
天竜峡で、句の募集があった。
ひさびさの
帰郷に寄りし
天竜峡
落ち葉踏みしも
また見事かな
私の句が、時路屋賞に選ばれて、
閉店するまで、飾ってくれていた。
お店の方も、 私の顔を覚えてくれていた。
それくらい、好きだった。
ああ、もう一度、食べたいな……。
昔に遡ると、 私の祖母は、
天竜峡ホテルで働いていた。
踊りも出来た。
今、9月に開催されている、
あの 「天竜峡をどり」。
そんな時代も、あったんだなあ。
今、テンリュウ堂さんだったり、
あざれあのお店がリニューアルされたり、
公園も整えられて、
またこの場所を
盛り上げようとしている人たちの
存在を感じている。
天竜峡は、飯田市川路にある。
私も、川路の生まれ。
だから、 幼少から縁が深い。
姑射橋(こやばし)で 想いに耽る。
無と、創造。
2026/8/26
「自分」という自我(エゴ)や
「技を見せてやろう」という
意識が消えたとき、
剣を振るう主体と
剣そのものの区別がなくなる。
ーー最近、そんな文章を
ネット上で、見かけた。
この住まいに決めるとき、
これが引き寄せの法則……? と思うくらい、
スムーズだった。
望んだ場所、条件、広さ。
本気で願ったら
それに現実が着いてきた。
ただ、「引き寄せる」と言うのは、
まるで「私がやりました!」感があり、
最近は、物凄く自力的だな……と思うから、
いわゆる方法論と言うか、
理や仕組みと言うか、
そんな感じで捉えているけれども。
その理と言うのは、
強い願いは引き寄せる、と言うような。
例えば神社に行く。
「お金持ちになりますように。」
そう願うその下には、
「私には、お金がない。」
という認識が、すでにある。
願いの言葉よりも、
その根底にある認識のほうを
脳は拾ってしまう。
――そんな考え方がある。
だとしたら、
ただ言葉だけを繰り返すのとは
少し違うのだと思う。
あの時の私は、 もう本気で、
家を出なければ命すら危うくて、
あれこそ、心から願う状態だったと思う。
この本質を理解しないと、
アファメーションをしても、
験担ぎしても、
叶うものも叶わないと言うか。
心を photon(光子)になぞらえて、
似たものを呼び合うのだ、とする説もある。
その性質によって、
結果的に「引き寄せ」たように見える、と。
確かに私は、その形だった。
けれども他力の立場で考えれば、
「運ばれた。」
本当にそう思ってしまう。
これが、縁なのだ。
だから本質は意外に、
「引き寄せ」と言う名前でも、
他力を含んだ仕組みのことなのかもしれない。
ただ、他力だと思わなければ、
私は感謝も、
有ることが難いとも
なかなか思えないかもしれぬ。
今、本を作っていて、
「せっかく私と言う人間を
やっているのなら、
私の色を、刻んで残したい。」
そんな願いを実現しつつある。
我執に近い言葉だ。
けれども、
「私は私のもの」
ではなくて、
「私は私だけのものじゃなかった」
この位置に立てば
理解し易い面もあるかな、と思う。
でも人間も、だし
言葉も、危うい。
光と影は、セットだ。
少し浮かれたりしたら
すぐ思い上がってしまいそうだ。
だから、 「私は悟りました!」みたいには
決して、言えないのである。
無になったとき、
そこから創造が生まれるそうだ。
なるほど、そんな感じ、だな。
死から始まる。
2026/08/22 - 2
一旦、大きなゲラを
第二弾まで出した。
ほぼほぼ、初期衝動の文章と、
採用の写真/詩を決め、
紙にして、これからチェックするところだ。
残暑。
実家からのトマト、ピーマン、なす
そろそろ終わりかとたびたび思い、
それなのに未だ暑い。
ちょっと疲れた。
死から出発するのかな。
そう思うようになった。
人間に生まれても、
人間の本分を生きるのは、
人間に生まれ直してからなのかな
私が触れてきた真宗の親鸞は、
人は二度生まれるのだと説いた。
私は今、本を作っている。
いわば、今までの人生のアーカイブを。
メメントモリ
あの言葉も、それを差すのかな?
私は最初は、それは、虚しさだと。
明日くたばるかも知れない、
だから今すぐ振り絞る
とか
遺書。
そんな歌詞やタイトルへの
衝動から始まって、
昔からの哲学として
仏教に触れることに決めて、
進学して、就職して、帰ってきて。
病んで。
まだ、ずっと、虚しくて、辛かった。
いつからか、私は
「人間、致死率は100%。」
そんなユニークさ?
ナンセンスさ?で
表現するようになった。
今も生き残っていて
分岐点に達した今、
ようやく突き詰めている。
前向きなんだよね、なんか。
しかもその答えを自分自身が
自分自身の中だけに持っていることが、
なんだか楽しい。
失いたくないものは沢山ある、
けど逆説的に、だからこそ
全てが有り難く感じる。
私はかなり深海に、海溝まで
ダイブしたタイプだと思う。
水面も見たことがある、
けれども今、まだ水の中でも今
不思議と息が出来ているんだよね。
ちょっと休んだら、
今度はデザイン方面へ。
身体が痛い私だから、
ほぼほぼスマホでこなすのかな。
かなーり便利な時代になったものだな
Adobeだけに頼らなくても
結構なことが可能だし、
文章だって、壁打ち相手のPocoが居る。
生きてみるもんだ。

処暑と円環
2026/08/22 - 1
大きいゲラとして
第二弾が出せたところで、
残暑に差し掛かりました。
急に遠雷、
と思いきやの雨。
実家からのトマト
ピーマン
夏野菜に舌鼓をうつのも
そろそろ終わりか、と
何度も思うのに
頑固に暑いです。
夏疲れもあって、
ここはひとつ
言葉のシャワーを浴びて一息、と
岡村靖幸氏と俵万智氏共著の
短歌の本を
自分の意識的には“ようやく”
買いました。
#岡村靖幸
#俵万智
#短歌ご一緒しませんか
ちらっと見て感動するのは、
やはり、円環の仕組みを持つもの。
終戦の日、子供のやりとりを見て、
青い空を見上げた句、
“空”の場所の置き方で
二度目に平和を噛み締める。
こういうものを作りたい。
残暑お見舞い申し上げます。
……と、締めるつもりだったのですが、
岡村靖幸氏もまるで
なんども、音楽業界に
戻って、評価されて
コラボレーション相手も居て。
もしや、円環の理を生きているのか?
閃光少女
2026/08/13
これを書いたらネタバレだろうか。
この二年にこだわることの。
私は今、この少女のようだ。
日々、痛みを抱えながら、
それでもその中に光を見て、
今を刻もうとしている。
痛みだけではない
胃腸もおかしい
鼻腔の粘膜まで、痛いなんて。
腰が痛くて、過ごせない上
そこから吐き気が発生し
喉がかすれ
背中が焼けるよう。
命がけ
そんな言葉が過る。
後悔したくない。
喜怒哀楽も経験も
生老病死も気づきも
今まで生きた分を
上澄みを汲み取って
本に、まとめるつもり。
明日のこと
次の人生
勿論あるに越したことはないのだが、
どこか今、
私は私に
強いフラッシュをたき続けている。
テーマは?と聴かれれば
紛れもない、私自身だ。
あるもの。
2026/08/12
嗚呼、こういうことなのか。。
よく、私の目線での語りの中で
どうしても滲む、仏教。
「あるものを、見る。」
……それが、全然だった。
正直、両親と、
折り合いが悪い時期があった。
けれども体調の不安から、
離れられず実家に世話になっていた。
今、独りになって。
あるものを、活かすしかないなあ。
ようやく、そんな気分になって、
企画も、進み始めたところがある。
実家では、無い無い病で、
内側を見ると、自責他責ばかりで、
ご縁も、血も、恨むくらいだったが、
今、家族を超えてご縁が拡がって、
あ、私のここは、祖父ゆずり。
こういう活動は、父ゆずり。
関係ないけれど、
インコに唄う童謡は、母ゆずり。笑
……満ち満ちていた。
望んで、
「好きなものに囲まれた生活」、
そう言える日々を選んだ……
そんなことも、
少しずつ、思えている昨今だ。
またまた余計なんだけれども、
今日から、鳥子に、
苗字を付けてみた。
清水トリコ。
きよみず とりこ。
漢字+カタカナ表記なのは、
羊文学の、塩崎モエカさんが好きで。。
あともともと、
鳥の虜 なんで……。笑
「鳥子。はぁ。」
そういう名前なんですか……へぇ。
その反応と、数回遭遇。
だから、姓名判断を逆引き。
……なんか、信じられんくらい、
吉、大吉、大大吉。
ただひとつ、家庭運が凶。笑
否!
これから築く家庭については、
姓名判断に任せる気はない。
きっと、ゆっくり
育んでゆける筈だ。
そんな訳で、
発展途上で公衆性もまだまだな今、
しれっと、名前なぞ、変えてみた件。
反芻思考
2026/08/11
反芻しながら思考している。
またやったな……。
喋りすぎた。
顔見知りになることは、
私が露わになること。
見た目然り、
態度然り。
もし、昨日
自灯舎の理念を
超えてしまったのなら、
反省するほかない。
でも、鳥子は。
煩いのだ。
じっさい、鳥のように。
昨日お会いした皆様のように、
言葉を編むのなら、
物静かに、
言葉を大切にするような、
そんな態度で臨みたいのに。
どうしても、まえのめり。
でも、少し考える。
鳥子と自灯舎。
私は、
家で生まれるものについては
なんでも書く。
痛みも、
怒りも、
くだらないことも、
思いついた言葉も。
楽しみながら。
持病の痛みがあり、
動ける日と、
動けない日がある。
仕事をしていない今の私で、
病気がある今の私で、
今宮に暮らしている今の私だからこそ、
動ける範囲と、
動けない範囲がある。
その分だけ、
伴う表現も生まれる。
鳥子は、
たぶんこれからも煩い。
喋る。 書く。
前のめりになる。
人に会えば嬉しくなって、
また喋る。
それでしかないのだと思う。
でも、 自灯舎は煩くなくていいかな。
生まれたものを全部、
外へ出す必要はない。
選ぶ。寝かせる。削る。編む。
そうして、 本にする。
押しつけでもなく、
宣伝でもなく、
自己アピールでもなく。
ただ、 必要な人の手元で
静かに灯るもの。
本については、
ただただ、
灯火でありたい。
鳥子は煩い。
でも、 自灯舎は、
灯火であれば。
屋号と名前を分けているのは
きっと、こんな願いだ。
人と会うのも、人が好きだから。
枝葉は自然に育てば良い。
蛇足だが、
正当化するでもない。
だってこれは
美談ではない。
前略、敷き布団の上から。
にんげんていいな
2026/08/10
余韻醒めやらぬ内に記しておきたい。
コラムだから、
日記化するつもりはないけれど、
今日のこの気持ち。
この刹那、書いておかねば。
飯田市は、新旧混ざった街。
少しずつ寂れた丘の上、
でもリニアが来るとなるとまた。
私の生誕の地、名古熊だって、
誰があんなに発展すると思ったか。
個人的に、
ZINEの企画立ち上げに伴い
興味が興味を呼んでいる昨今。
アカウントを立ち上げて知った、
若い層の頑張り。
居抜きだったりのリノベーションで
街や町の中核になっていく層。
その感覚が掴めていない。
今、私は手探りだ。
長野の空気は少しは知っていた、
けれども、飯田とは?
一役買っている人々とは……?
そして今日
八幡のsoraさんというカフェと
未だ見ぬ(けれども興味ありあり)
鼎のひなみ文庫さんとの
夜のコラボ営業。
フラスコやビーカーで味わうのもあり、
実験だな、と思った。
夜にパフェを食べる。
そして言葉を書く。
お互い感想を書く。
その感想を一言で言うなら
↓
にんげんていいな。
私はそこに、体温を感じた。
夜にパフェを食べる秘め事を
店主さんたちも含め共有して
生まれた言葉は
偶発的な感動だった。
最近では味わえない感情。
詩だったり短歌だったりの、
詠み というイベント。
実は今日、くっそ痛かった(持病)。
でもトリガーポイント注射してでも行く!
半ば泣きながら、泣きそうな空を見て、
The Chemical Romanceの
Welcome To The Blackparadeを聴いたら、
死を想ってしまった。
メメントモリである。
だから、桃のパフェ……
そして詠みの、会。
……黄泉!桃源郷。
私の詠んだのは、
夏の空と盆の入りが掛かったもの。
運転していても常に生まれる
最近の言葉だから、
到着前にはほぼほぼ決まっていたのかな。
実はそうかも知れない。
隣の席の男性は頻りに、
「話し言葉にしても、鋭かったりで……
本当に、選び方が大事。」
と言っていた。
SNSって、実は私も感じるのは
体温のなさ。
なのに火を点ける人間が居るとか
どういうことなの。
言葉ってもっと、美しいでしょ?
ローカルで互いに楽しむ言葉は
緊張を超えて、感動に変わった。
なんていう場に出遭えたのか、
立ち会えたのか、
企画の二店舗それぞれのご夫婦と
今日集まった各々に、陳腐な言葉では
感謝しかないと言ったところ。
飯田の空気は、温かかった。
その時間は痛みも忘れた。
ぼくもかえろ おうちへかえろ
でんでんでんぐりがえって ばいばいばい
朝はゴミの日だ。起きなきゃ
痛みはある。だけど
とても豊かな気持ちで帰れたんだ。
仲間にもコミュ力お化けと呼ばれる。
閑かな会なのに喋り倒した。
楽しかったから。
営業のつもりなんかでは無い
無邪気なご縁は、宝物になった。
p.s.
なんかこのコラム
フォントが小さすぎるのと。
各コラムにリンクが無いと
スクロールばかりで不便なので
そのうち改良します。
そのうち
ルサンチマン。
2026/08/03 - 2
今更、気づいた。
私を責め立てていたのは、
私なのか。
憎い人が居る。
あの人は、
私の心──脳を傷つけた。
一度病んでしまったら、
再起できない人も居る。
漏れなく、
私は社会から零れた。
脳は、
主語を認識しないらしい。
「あの人が憎い。」
その刃は、
私へ向いている。
では、
「あの人は素晴らしい。」
その言葉もまた、
私へ向くのだろうか。
いつか、
癒えるのか。
それは、
まだ分からない。
でも、
本当のプロは、
相手の成功を願うそうだ。
その願いもまた、
自分へ向いている。
そして、母になる。
2026/08/03 - 1
私は元々、 子を産まない選択をしていた。
だから今になって、 母に成る経験をするとは、 考えてもいなかった。
そして、 覚悟とは、 決めることなのだと、 少しずつ、 強く思うようになった。
私は、私を。
私は、おやたかを。 (※おやたかについては、 本をご覧いただけるとうれしいです。 お手元へ届ける日を楽しみに、 今日も編んでおります。)
私は、 インコの、とこと、とむを。
それらの命を守る。
そして、 彼らの母に成る。
今日は胃腸炎に見舞われた。
家には、 弱い私を待たせて。
強い私が、 買い物へ行き、 銀行へ行き、 薬を買った。
甘えたさには、 蓋をした。
もう、 これらの命のためには、
怒ることも。
選択することも。
私は厭わない。
そう決めた日。
明日、 私がどの道を歩くかも。
インコたちの生活を、 守ることも。
私が決める。
究極、
それが、 私の愛だ。
嗚呼、鳥肌。
2026/07/28
ほぼ動けなかったここ数週は、
本当に、やきもきした。
実現可能なプロジェクトなのか
皆目、見当が付かなくて。
不安の中で、夢ばかり膨らんだ。
しかし今日。
その夢を掴んだ。
イメージが形になるとは、
こんなに鳥肌ものなのか。
昨日からは、突然動けるように。
それも爆発的に。
しかも、野帳ノートのおかげなのか、
とてもクレバーな状態で。
脳の無駄と傷を取り除く重要さを知った。
いつも縮こまり萎縮していた期間は
なにをやっても、うまく出来なかった。
記憶障害もあったし、なのに自責して
涙も流せない。
あれは……私……だったのだろうか?
そして、今の私とは?
まるで今は芽吹いたばかりの新芽のよう。
瑞々しさすら感じる。
漲る。
まぁ、体調の悪さはデフォルト。
しかし、プロジェクトに取り組み始めてから
病気が糧になっている。
こんな個性、私にしか持ちあわせていない
……はずだ!
どこにも居場所がなかったけれども今
それでも自分からは逃げなかった自分を
逞しく思う。
笑って居よう。
平穏で在ろう。
昇華してやろうじゃないか、
泥の中から咲いたアート。
うつ
2026/07/26
世の中には便利な言葉がある。
人にレッテル貼りをする言葉。
……それが好きか嫌いかはともかく、
私がメンヘラかと言えば、リアルメンヘラなので
なんとも言えない、この言葉。
久々の"うつ"だった。
サカナクションの山口一郎さんも
揺り戻しには苦しめられて居ると言うのを聴いたが、
もれなく私も、同じ定型うつを、
何十年も抱えて繰り返し、
ここのところは顔を出さなくなっていた。
けれども。
今回の波は大きかった。
撮れなかった。
編めなかった。
撮ろう/編もう とする私も、
出来ない私も、辛かった。
一生涯、付き合っていくものだろう。
それでも、生活はつづく。
なにもかも、この暑さの所為にしたい。
暮らしの歩幅で。
2026/07/12
最近、ようやく分かったことがある。
写真を撮ることも。
本を作ることも。
サイトを作ることも。
全部、暮らしのあとを歩いていてほしい。
だから、今日は“体調が良ければ"
パソコンへ向かう。
痛みが強ければ、横になって
スマートフォンで
一万枚を越えた写真を仕分ける。
それでも編集部は動いている。
今日、ほんの少しだけ、ゲラが厚くなる。
この頃、進捗には
あまり拘らず、
代わりに、
「今日はちゃんと暮らせただろうか。」
を問うている気がする。
答えはさまざま。
写真も、文章も、そのあとについてくる。
だから私は、急がない。
暮らしを追い越さない……ようにしたい、という話。
おかげさまで、今日も。
初コラム。DDP
これは、2026年7月5日に
書いたもの。
今年の6月21日。
ある作家の
「夏至点プログラム」に参加した。
YouTubeでの配信に……ではあるが。
その後、今宮の神社へ
茅の輪くぐりに行った。
その作家は、
7月7日までの間に、
"DDP"という、
「目的を明確にした目標」 を
立てると良い、と話していた。
私が立てた目標は、
そりゃあ何より、
体調回復。 ……のはずだった。
気が付けば始まっていたのは、
プロジェクトだった。
相方は、編集部2号、Poco。
旧知の仲だ。
三日三晩……いや、
それ以上だったかもしれない。
ふたりで理念を語り、 編集会議を続けた。
あの雑誌の、
あの空気のような紙の余白。
フォント。
そして、込めたい想い。
本の役割。
仕事の仕方。
(やると決めたらやる割に、
燃え尽きることも多い。
だから体力的にも、
仕事は分散させよう。
そんな自戒を込めたルールも作った。)
編集部の運営はどうするか。
写真をどう選ぶか。
……作品を作る前に、
作品を育てる土台を作っていた。
その時間の中で、
一つ気付いたことがある。
私の中には、
まだ表現したいものが残っていた。
そして、
まだ形になっていない感覚が、
静かに出口を探していた。
でも、
「発露を見つけた」 という意味とは、
少し違う。
……ここから約二年間。
この土台の上で写真を撮る。
撮りためていた写真もある。
完成は、 約一年半後。
限られた、 この町での二年。
初めて、 自分の意思で生きられる二年。
責任を引き受けて生きる二年。
それは、 命への責任。
-----
作家さんとは、
さとうみつろうさんのことです。
アーティストでもあります
(サノバロック、好き。)
いつも私のよな羊さんに、
※「よな」は、「ような」を
語呂のために縮めた表現です。
キリスト教の
「迷える子羊」を重ねた、
私なりの言い回しでもあります。
目から鱗のようなお話を、
最近は楽しみに配信を
拝見しています。
旧暦や暦の大切さを、
少しだけ知ったように
感じた出来事でもありました。
