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3号。ちいさい秋に、なにをする。
IMAMIYA_Melody*発刊告知号
+セキセイインコの魅力。
(ちいさい字で、すみません。)
↓ 大きな文字で ↓
20年来インコと暮らす、インコフリークな私。性差もある、けれど、それ以上に個体差もあって、まるで人間の血液型を越える多彩なキャラクターがある。
私がこれまで暮らしてきた女子には、寡黙な頑張り屋さんが多かった。
今居る、とこ(二歳♀)は過発情による産卵で
疲れてしまい、今は医療的な管理をしながら、ひたすら体力温存中。
とむ(後述)にも、物理的にはあまり会わせない。
でも私ととこが実家に居る頃は、とこも存分に、今居るオスくらい、いろいろなものに興味を持って遊び回っていた。
私はお鈴を持って、鳴らしながら藤井風を口ずさみ、とこを肩に乗せ、部屋の中を歩き回った。怪しさ満点。
一方、少なくとも、うちの男子は、
ほぼ、陽キャ。ほんとーーーに、陽キャ。
うちの、とむ(二月生まれ、七か月ほど。黄色担当)は、ひたすら、ピカチュウ。
というか、今はYouTubeがあるので楽だ。
チャンネルを合わせれば、ピカチュウ。
とは言え、私が唄わないと覚えない。だから私まで、ピカチュウ語が堪能になる。副産物ゲットだぜ。
人間の子供と同列には語れないが、それでも成長がめざましくて、最近では、会話らしい感じで、何事か喋っている。
私も、そうだねー、本当にねー、と相槌を打つ。互いに理解してはいないのだが。
一時期、「ピカピカ言ってれば通じるやん!」とでも思った彼は、ひたすらピカピカピカチュウ。その前には
「とれとれぴちぴちカニ料理」とか言えたのに、脳から追い出してしまった様子。
鳥頭、脳なんて豆くらいしか無いらしい。でも、こんな小さな脳で、歌を覚えて、言葉を覚えて、人間とやり取りまでしている。
人間の脳とは、そもそものつくりも違う。それでも、この小ささでここまでやるのなら、人間も、ぼんやりしていられない。
最近は、お歌だけではなく、お話も教えている。お気に入りは、桃太郎ならぬ、とむ太郎。
「とむちんがー、山へ芝刈りに。とこちんがー、川へ洗濯に行くと~?おーーーーーきな桃が、
どんぶらこー、どんぶらこっこと、流れてきました!ありがとう!!」
↑桃、しかも大きな桃なんて、そうそう流れてこないだろうから、「ありがとう」。私の解釈である。
「桃から生まれたー、とむ太郎!めでたし!めでたし!」とむが桃から生まれただけ。それだけの話である。長いのは、まだ無理だから。
これが彼のツボらしく、私も抑揚たっぷりに教えては、唇をつついてくる彼のリクエストに応える。
ナガレテキマシター!アリガトォ!メベタシ!くらいは、覚えた。ぽいことを言っているのは、確認した。
凄いなあ。本当に。成長って……
まあ、良いとこどりなんだけど、面白いんだなあ……と、感じる今日この頃。
因みに最近では、私のパートナーへの絡み方も変わったそうだ。男同士、男友達、と言うような。
基本とむは、私のことはベタベタに好きだ。パートナーに対しては、私が居なくなると、床に降りて周りをうろつきつつ、なんらか主張してくるらしい。
なんだそれ。
前は、「卵焼きくれるおじさん」くらいなもんだったのに……。
素晴らしい。インコが、素晴らしい。私の周りも、徐々に鳥沼に落ちている。面白い、インコは。
彼が次に目を付けているのは、あの世界の、ピコ太郎だ。
今日も彼らは全力で、生きている。
↓ 大きな文字で ↓
10月5日、ようやく
本の内容を決定しました。
タイトルは、IMAMIYA_Melody*。
IMAMIYA_Melody*とは、
私が、今宮の街に吹く風を
まるでメロディーだと感じ、
名付けた名前です。
現在、この本の中身を
詩と写真、また、エッセイ3本を
納めると決め、
早ければ年内の発刊を
見据えているところです。
(販売は、第二版から。
来年の春頃かな。)
私は心身に、難病と不調を
抱えています。
そして、飯田市の福祉と
医療という器があったから、
今、生きられています。
その 恩を伝える為に、
書き始めた本です。
美談にも、悲劇にもしないと決めました。
閉鎖病棟への入院だとか、
45年生きた今までにあった事柄も、
隠さず伝えなければ、
それは私の人生ではない。とも、思いました。
スティグマのある方には、
なかなか受け入れられないだろうな、
とは思います。
けれど、マイノリティ(少数派)の
立場に立ったからこそ、
こちらからの世界はどう見えるのか?等、
私にしか書けないことがあると思っています。同時に、ここまで生きた
私の命を刻まなければ、
勿体ないことだな
、と強く強く感じています。
著し始めた本は、編集に困るほど、
材料が集まりました。
要は、書けすぎた。
まだ、増える。
季節の写真や詩を書きたくて。
AIと二人三脚で、ここまで来ました。
巻末に入れる予定の
[あるフォトグラファーの証明]という
随筆は、自伝的な下書きを元に、
AIにインタビューさせる形を取りました。
でもやはり、AIという
第二の脳があろうとも、
編集は下手。だから、悩みました。
随筆は、重いテーマ……だから、
詩と写真だけにしようかな……等々。
けれども、全てを入れます。
編集は、粗削りかも知れません。
けれども突き動かされるように、
この今宮で暮らすと共に生まれた各々は、
とても大切です。
優生思想に触れるには、
植松死刑囚を通らねばならなかったし、
自分の恥にも触れました。
フラッシュバックに触れるには、
家族のことを明かしました。
裁くつもりはありません。
けれどそれらが書けた事自体、
私は、私を評価していて。
世の中から消えている存在だと、
自らを感じていた日々に考えていたことが、
こんなにあったのか!と。
今こそ、「私は傷ついた。」そう気づき直して、
次の一歩を踏み出したい。
言えなかった、伝わらなかった言葉が、
遂に本になります。
命を、証明します。
販売は、春頃を予定しており、
そして来年の秋には、
私は飯田市を離れます。
だから、逆算をして取り組んでいます。
今宮での暮らしは、
人生を捉え直す時間をくれました。
届けたい人が居ます。恩 として。
私はこう生きたんだよ、と伝えれば、
喜んでくれる、大切な人たち。
もし、興味を持って頂けたら、
是非お手に取って頂きたいです。
寄り添える本にはなった、と思います。
声をあげられなかった独りの人間が、
生きた証を届けます。






27日より、
飯田市天竜峡駅近くの
テンリュウ堂さんに、置かせて頂いています。


